私の努力不足もあり、その投資家の方には経営品質の考え方の本質を理解してもらえず、株価こそが企業を評価する尺度だと言われ、とにかく投資に見合うリターンを早く返すようにと、結果を出すよう強く迫られました。
そんな中で何とか、それまで5千万円あった債務超過も解消し、営業赤字から脱却するところまでにもっていったのですが、投資家の皆さんが望むような成果は一年では出せるまでには至りませんでした。
そのため、「経営品質などとのんびりしたことを言っているから数字が上がらないのだ」と厳しく追求されて、株主総会前日の2000年の4月25日にいきなり社長を解任されました。味方だと信じていたスタッフも口を閉ざし、私は会社を去ることになりました。
ところがその7ヶ月後私は再度、社長に就任することになりました。
その間、何が起こったのでしょうか。後任社長が「経営の質なんて関係ない。売上、利益、株価が全てだ」と言い続けた挙句、たった7ヶ月の間に売上は14億円から10億円に激減し、その程度の売上にもかかわらず4億円もの巨額の純損失を抱えることになってしまったのです。一番の原因は組織の良い風土が破壊されてしまったからに他なりません。
従業員たちからは、その間もずっと私に復帰して欲しいという要請がありましたが、私はとても迷いました。なにしろこれだけ大きな赤字です。立て直す自信がありません。しかも引き続き銀行の支援を受けるには、前社長の残した10億を超える借金の保証人にならなければなりません。当然、周囲は猛反対しました。しかし、その場から逃げることなどできませんでした。
そして、不退転の覚悟で、再度社長を引き受けることにしましたが、経営品質向上プログラムにすべてを賭けて会社の再生に臨むことにしました。
その後はジェットコースターのように山あり谷ありの毎日でした。でも結果的には5年間で借金も5億円返し、累積損失3億円も一掃しましたし、8年連続経常増益(2009年1月期まで)を継続することができました。そして、この間、社員の給与は一切下げず、ボーナスも払い続けました。では何故、再生できたのでしょうか? 一言で言えば、社員のやる気が高まり、前向きの社員の退職が激減したからです。やはり人がなにより大切なんだ気づかされました。